開催報告

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2014.07.17

イノベーションの源泉を語る

【開催レポート】

①前職失職、ゼロからの立ち上げ
サラリーマンを3年。そして失職…。最初は土方をやっていたような自分が起業したのは自分の意思ではなく、周囲から進められての結果だったといいます。「300万円用意して来い」といわれ、700万円を出してくれる人がいて、会社設立。しかしビジョンも事業構想もなく…。当初はパソコン普及黎明期。とにかく運がよかった。「自分がもっているのは“先見の明”ではなく、ひたすら“運”」しかし、運を引き寄せる何かが、関根氏にはあったようです。

 

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②「ピークアウト」「在庫をもつ」…常識の裏をかく戦略
ハイパーの成長のステップに「ピークアウト」があったといいます。ピークアウト、とは、ピークがくる前に事業撤退する、ということ。個人パソコンが飛ぶように売れ、秋葉原に人が溢れかえるようになった時代に、6店舗あった店舗を突如撤退させます。「立ち退き料でかなりの儲けがあったんですよ」と。誰もがやりだした時には撤退する…これが秘訣だと。また、ハイパーの特徴は常に在庫を抱えていること。一般には在庫はリスクと考えられがちだが、そこがハイパーの戦略だとか。営業が訪問せずに顧客とつながる等、独自の戦略は常識の裏をかくようなことばかりで、ひとつひとつ驚かされました。

 

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③従業員が「やっていることが楽しい」会社にする

イノベーションを起こすのは現場であり、従業員。トップはその方向を指し示すのが役割。基本的に現場が考えた答えは否定しないという。「失敗はない。あるのは得敗。負けても失うものはなく、得るものだけ。」「従業員の芽をつまないこと。まびきをしないこと。育つと絡まるが、それをていねいにほどいていく」「教育とは教えることではない。学びを起こしていくなかで、教える側も成長している」…従業員を育て、強い組織を作るための創業者の哲学から繰り広げられる言葉は、ひとつひとつに深い含蓄がありました。

 

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講師プロフィール

関根 俊一氏

株式会社ハイパー 取締役会長

[略歴]
1962年9月7日生まれ。1986年04月新日本工販(株)(現(株)フォーバル)入社。事務機器販売業務に携わる。常にトップセールスの成績。その後社長直轄プロジェクトとして、電話一体型簡易通信端末「テレメーション」を開発。同社を退職後、1990年05月株式会社ハイパーコンセプションを設立。当初は「テレメーション」の普及の為の企画を主力業務としたが、2年目にビジネスフォン、ファクシミリ、複写機などOA機器の販売会社として再スタート。
当時これから普及期を迎えるパソコンを格安に販売する手法を考案。93年6月、神田営業所を新設し、本格的にパソコン販売に参入。同年11月には、秋葉原にパソコン・マルチメディアショップ「LITS FACTORY」を新設し、オリジナルDOS/Vマシン「FACTORY」を発表。その後オリジナルパソコンから撤退し、94年7月秋葉原にコンパック専門店「SOUTH WIND」を出店。これが「大当たり」し、95年3月にはIBMパソコンの消費者向けブランド「Aptiva」の専門店として秋葉原にIBM専門店「SOUTH WIND2」を出店。同年6月には、秋葉原に富士通専門店「SOUTH WIND3」を出店。パソコンの販売ノウハウの蓄積も進み、以後、メーカー、ディストリビューターの積極的な支援を受けて相次いで出店、店舗数は6店舗に拡大。
その後順調だったパソコンショップの運営から撤退。社業を「IT関係全般の御用聞き」へと発展させる。2006年9月ジャスダックに株式を上場。社名変更、社長交代、大阪・広島への支店拡大、また事業もオフィス用品やOAサプライとカバー領域を広げ、売上利益ともに順調に拡大を続けている。

開催概要

Overview

開催日時

2014年07月17

定員

金額

会場

住所

〒102-0083
東京都千代田区麹町2-4-11 麹町スクエアプラザ9F

講師名

関根 俊一氏

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